千田 是也 ―「俳優座史 1944~1964」所収―

 自分の劇団、それも、このややこしい世の中に二十年ちかくも生きつづけ、白然に膨らんでしまつた劇団のことを、短い文章につづるのはなかなか厄介です。とても理屈では割切れない――小説にでも書くしかないよ、とよく笑うのですが、たまには自分の劇団のことを少々理詰めに考えてみる必要もあろうかと、こんな文章を書いてみる気になりました。

俳優座の歩み -その公演、その演目-

 俳優座の芝居は、いまは東京公演(本公演)、「日曜劇場」公演、試演、地方公演という形でおこなわれています。以前には、日本の現代戯曲の伝統をさぐること、当時やっと出はじめた戦後の創作戯曲を舞台でためすことを目的とした「創作劇研究会」とか、青少年層のいわゆる視聴覚教育や演劇的啓蒙のための「青年劇場」とか「こどもの劇場」とかいう公演形態もありましたが、ここ数年来、劇場の建設やその後始末に追われて、こうした形の公演には手がまわりかねております。「青年劇場」や「こどもの劇場」は余裕ができ次第すぐ復活したいと思っておりますが、「創作劇研究会」という形は、新しい創作劇が本公演や試演でどしどしとりあげられるようになった今日、まだその必要があるかどうか。

 さて1964年2月に、20周年を迎えたわけですが、終戦の翌年つまり俳優座創立の2年日に、東京劇場で第1回公演「検察官」(1946年3月)の幕をあげてから1964年12月までに、約200回の公演をもち、約200本の脚本を上演してまいりました。公演回数のうちわけは次の通りです。

公演形態 公演回数 上演回数
東京公演 63 1858
地方公演  69 1584 
創作劇研究会  9 84 
「日曜劇場」公演 17  411 
試演・小公演・勉強会  27  244 
「青年劇場」公演  34 
「こども劇場」公演 23 629
合計 211 4844

 上演脚本のうちわけは、 戦後の創作劇90、戦前の創作劇42、外国古典劇14、外国近代劇14、外国現代劇16、子供用脚本19(創作劇13、外国劇6)――創作劇と飜訳劇の比率は145対50、つまり飜訳劇の3倍弱の創作劇を上演してきたことになります。

作家別にしますと(括弧内の数字は上演脚本数)、

 

【戦後の創作劇】田中千禾夫(11)、田中澄江(7)、安部公房(5)、真船豊、小山祐士、三島由紀夫、秋元松代、椎名麟三(各3)正宗白鳥、久坂栄二郎、田口竹男、内村直也、(各2)、岸田国士、川口一郎、太宰治、伊藤貞助、福田恆存、加藤道夫、木下順二、武田泰淳、その他(各1) 。

【戦前の創作劇】真船豊(7)、森本薫(1)、森鴎外、島崎藤村、郡虎彦、幸田露伴、小山内薫、菊池寛、久米正雄、横光利一、岸田国士、久保栄、阪中正夫、田中千禾夫、伊賀山昌三、川口一郎、鶴屋南北、(各1)。

【外国古典劇】モリエール、シェークスピア(各4)、ゴーゴリ(2)、アリストパネス、 ボーマルシェ、ゴルドーニ、クライスト(各1) 。

【外国近代劇】ストリンドベリ(5)、チェーホフ(4)、イプセン、バリ、ロマン・ロラン、ジャネット・マークス(各1)。

【外国現代劇】ブレヒト(2)、ピランデルロ、ヴィルドラック、デュガール、ジロドウ、カミユ、コクトー、ロルカ、フランク、ヴォルフ、クルツコフスキー、プリーストリー(飜案)、オニール、インジ、フィリッポ、丁西林(各1)。

 

などの作品を上演しております(「こどもの劇場」用脚本の作者名は省きました)。

 こうならべてみますと、少々雑然とした印象をあたえますが、これは研究会や勉強会などでとりあげた作家を含んでいるからで、私共が一応タブロオとして世に問うつもりの本公演や「日曜劇場」公演の演目だけにしぽってみると私共の方針ないしは傾向らしぎものが浮かんできます。つまり、劇団結成から俳優座劇場建設までの最初の10年間の本公演の演目と、その後現在までの11年間の本公演および「日曜劇場」公演の演目を比較しますと、

    最初の10年間 その後の11年間

 

 

外国劇

外国古典劇 5(20%)

 

10(40%)

11(19%強)

 

26(45%強)

地方公演 5(20%) 8(14%強)
こどもの劇場 0 5(12%強)

 

 

 

日本劇

日本戦前作品 2(8%)

 

 

15(60%)

7(12%強)

 

 

31(54%強)

日本戦後作品 13(52%) 24(42%強)
戦前作家による 9(36%) 13(23%強)
戦後作家による 4(16%) 11(19%強)
  合計 25 57

ということになります。

 これを見ていただければわかりますように、外国劇と日本劇の比率はたいして変わっておりません。創作劇を主にしながら外国の古典劇や近代古典劇をある程度やっていこうという方針はそのまま後期にうけつがれております。外国近代劇の比率は20%から14%強に減りましたが、そのかわり外国現代劇の上演が後期になってはじまり、そのパーセンテージは日本の戦前作品より上まわっています。とくに最近は、ブレヒトの作品にたいする劇団の関心がたかまり、私共の仕事の重要な特色のひとつになってきております。

 日本の脚本については、この表では脚本の大きさがわかりませんが、たとえば、後の10年間に上演された戦前作品5本のうち3本は一晩に上演された藤村、鴎外、虎彦の小品ですから、実際には戦前作品と戦後作品のこの場合の比率は3対20(約7%対49%)ぐらいでありましょう。

 個々の作家について中しますと、前期には真船豊の作品が私共の演目の大きな部分を占めていたのに対して、後期には田中千禾夫、安部公房、田中澄江、小山祐士の作品がそれにかわっておりますし、戦後の作家だけについても、前期の秋元松代、三島由起夫、加藤道夫、福田恆存にかわって、安部公房、椎名麟三、石川淳などの作品の上演が私共の演目を特徴づけるようになりました。

 こうした演目の取合わせやその重点の移動をごらんくだされば、創立後20年の私共の歩みをだいたい御想像いただけると思いますが、念のために、もう少し立ちいって、こうした歩みをつづけてきた私共の意図を述べさせていただきます。