この時期の私共は、終戦後のあの混乱のなかで、いうところの「新劇ブーム」に足をすくわれないように用心しながら、ひたすら新劇の伝統を掘りおこし、整理して、新しい出発のための基礎がために全力を集中しておりました。日本の新劇、とくにその演技術の歪みやぜい弱さの原因が、単に戦時中の断絶にあるだけでなく、戦前の新協・新築地時代、左翼演劇時代さらには築地小劇場時代の片寄った粗雑な創造方法にあることに気づいた私共はこの時期には、外国の古典劇や近代古典劇の再検討、ヒューマンな内容と戯曲的な強靱な言葉と対位法的な音楽的構成をもった真船さんの脚本の上演や、岸田国士を中心とする「劇作派」の作品との接触によって、内面的な、きめの細かな、ドラマチックな芝居、感情同化的な演枝を学ぶことに努力しておりました。この時期に私共が「創作劇研究」という試演形態を考え出し、主として「劇作派」の人々の脚本を上演したのはそのためでした。俳優座の五周年記念パンフレット(1949年2月)に私が書いたつぎの言葉は、その頃の私共の考えをよく現わしております。

私どもは演ずる――動作する、話す、身振・表情する
私どもは物語らない、歌わない、踊らない、ポーズしない、物真似しないーただ演技という場でしか、それをしない。私どもは類型の、役柄の、性格の、硬わばった仮面や厚ぼったい縫いぐるみを着ようとは思わない。私どもは刻々に創られて行く生きた人間を、私ども自身の流動する心と身体の上にきざむ。

勿論私どもは、この生きた動作の表出性を芸術的に純化する可能性を信じないわけではない。だが私どもは、演技の様式化を、その「高められた形式」を、生きた動作、生きた人間の中に求める。他の芸術――文学・美術・音楽・舞踊等からの借り集めの中には求めない。 私どもは、俳優の心や肉体の中にひそむ自然の力に信頼し、その法則をさぐり出し、意識的にこれを使いこなす術をわがものにしたいと思う。あらゆる人為的なもの、お芝居的なものを、私どもの演技からまず取除けたいと願う。私どもの求めているのは純粋な俳優術である。」

「……文学の一形態である「ドラマ」と結びつくことによって、はじめて私どもの演技は、本当に純化される……
 ……ともかくも私どもは、個性的な人間を、作者の叙述や描写をぬきにして、生きたまま、見物の前に置いて見せ、その生きた動作を通じて、その魂の動きを瞭り透いて見えるようにする芝居から出直したい。文学の一形態としてのドラマや近代俳優術の前提であるこの「現前性」とでもいうぺきものを、もっともっと掘り下げて行かねばならぬと思つている。」