2010年に私が演出したファスビンター作「ブレーメンの自由」は、封建制(男性社会)の中で苦しもがき、次々と殺人を犯してゆく女性の話でした。何故彼女は関わった男性(夫や親までも)を殺すのか?彼女の心の叫びに魅了され、その後、女性問題を扱った戯曲が他にないか、第2弾を企画しようとしました。しかし、なかなか気に入った戯曲が見つかりませんでした。灯台下暗し「ヘッダ」に気がついたときはだいぶ時間が経っていました。何故「ヘッダ」に気がつかなかったのか、それは私がイプセンを苦手としていたからです。イプセンとシェイクスピアはほぼ同じ頃日本に紹介されましたが、この知名度の差はどこにあるのか。

私の入団当時、諸先輩方にとってチェーホフやイプセンは、近代古典の神、バイブル的存在でした。若かった私には、どこが優れているのか面白いのか理解できずにいました。

1990年千田是也演出「海の夫人」にいたっては、舞台で何が行われているのか、何を会話しているのかさえも理解できませんでした。見知らぬ男と言う役は、女主人公の幻覚なのか、現実なのか。女主人公はこの男に強く惹かれ、その反面ひどく恐れているが、この男に象徴される海とは・・?疑問ばかり残りました。

イプセンの難しさは、シンボリックに言葉や物を活用し、重層的な意味合いを行間にひそませている点です。この点が理解出来れば、イプセンほど面白い芝居はない、と言うことになるのですが・・。

「ヘッダ」も例に洩れず、「やさしく見せかけて難解」な部分もあるのですが、イプセンの戯曲の中では極めて筋が単純で、しかもスリルとサスペンスに満ち、最後まで観客を飽きさせない見事な展開に、苦手を自称していた私もすっかり虜になりました。

「ヘッダ」が1891年に初演された時、悪評の嵐に遭い、ヘッダの異常な性格と行動は理解されず、作り物の化け物とまで非難されました。夫にも今の生活状況にも不満を持ちながら、何もせず、することと言えば嫉妬だけ。他人の運命を左右したいと願うヘッダ。そんな観客に理解されない、共感を得られない主人公を、何故、あえて、イプセンは書いたのか。この謎を解きたくなりました。社会劇、問題劇を書き、物議を起こしてきたイプセンですが、友人宛の手紙で「この戯曲で、いわゆる問題を扱う気は全くありませんでした」と言っています。はたして本当なのでしょうか?私の興味は益々膨らみました。

悪評から転じて、イプセンの作品の中で、一番人気と言っても過言ではないこの戯曲。世界中の巧者の女優たちの闘志を駆り立てるその魅力を、一つ一つ解き明かし、お客様にイプセン独特の面白さ、楽しさを味わって頂きたいと思っています。


(劇団機関紙「コメディアン」より転載)